
1960年代から1990年代半ばにかけて、北海道の社会人野球を牽引した「北海道5強」。白老・室蘭・苫小牧・札幌に本拠地を置く5つの企業チームは、都市対抗・日本選手権の全国切符を懸けてしのぎを削り、道内球界を飛躍的に発展させた。しかし、バブル崩壊と企業スポーツの見直しにより、今や全てが歴史となった。道内野球黄金時代の軌跡をたどる。
北海道の社会人野球に「黄金時代」があった。1960年代から90年代半ばにかけて、「北海道5強」と称された5つの企業チームが道内を席巻した。彼らは北海道社会人野球を全国レベルへと押し上げ、都市対抗野球や日本選手権で躍動。熾烈な代表争いは観る者を熱狂させた。
大昭和製紙北海道(白老町)
1962年創部。1974年に北海道勢として初の都市対抗野球優勝を果たすなど、圧倒的な実績を誇った。93年に企業チームとしての活動を終了後、町民球団「ヴィガしらおい」として活動を継続するも97年に解散。現在は全く別組織の「WEEDしらおい」が活動している
都市対抗出場18回(優勝1/準優勝2)
日本選手権出場14回(準優勝1)
新日本製鐵室蘭(室蘭市)
1939年創部の伝統あるチーム。1963年都市対抗準優勝など、室蘭を拠点に全国でも強豪として名を馳せた。94年に休部となるも、10日後には市民による「室蘭シャークス」が誕生。今も地域に根ざした球団として活動を続ける。
都市対抗出場17回(準優勝1)
日本選手権出場11回(4強1)
※室蘭シャークスとして:都市対抗4回/日本選手権5回出場
王子製紙苫小牧(苫小牧市)
1950年創部、都市対抗初出場は1959年。長年にわたり道内を代表する実力派として君臨し続けたが、99年に野球部は王子製紙春日井へ一本化。2000年の都市対抗を最後に廃部。以降は市民クラブ「オール苫小牧」がその系譜を引き継いでいる。
都市対抗出場11回(8強1)
日本選手権出場9回
たくぎん(札幌市)
1950年創部。1969年に産業対抗で道内チーム初の全国優勝。1978年には日本選手権でも優勝し、全国でも名を轟かせた。しかし母体の北海道拓殖銀行の経営悪化により、96年に活動停止。その後、97年に銀行が経営破綻し、復活の道は閉ざされた。
都市対抗出場20回(準優勝1)
日本選手権出場10回(優勝1/準優勝1)
NTT北海道(札幌市)
旧・電電北海道として56年創部。71年には都市対抗初出場、産業対抗では電電単独で準優勝を成し遂げた。NTTの再編で東西に分かれた際、北海道チームは東日本へ統合されたが、地元選手中心にクラブチームとして継続。しかし2006年に解散。
都市対抗出場16回(8強2)
日本選手権出場7回(8強1)
「北海道5強」が残したもの
それぞれの終焉の形は異なれど、「北海道5強」は間違いなく、北海道社会人野球の質と存在感を全国レベルにまで押し上げた存在だった。彼らがしのぎを削った時代は、道内に社会人野球ブームを巻き起こし、若者たちに夢を与え、地域に誇りをもたらした。
今では、いずれのチームも企業チームとしての歴史に幕を閉じ、かつての輝きを直接知る人も少なくなった。それでも、クラブチームとして生まれ変わった球団や、彼らに憧れた世代が築く新たなチームに、そのスピリットは確かに受け継がれている。
都市対抗や日本選手権で一喜一憂した日々、真夏のスタンドを熱くした声援、道内メディアが連日報じた勝敗の行方——それらすべてが、北海道野球の記憶として人々の心に刻まれている。
「北海道5強」は、単なる強豪チームの集まりではなかった。社会人野球が地域文化として根づいた、まさに“時代”そのものだったのである。
参考文献:ウィキペディア