中学硬式野球の現場で育んだ記者としての視点 来春からはAI関連企業へ、新たな挑戦
北海道の中学硬式野球、リトルシニアの大会会場で、カメラや取材ノートを手に選手たちを追いかける一人の青年がいる。株式会社スポーツニッポン新聞社のサポートスタッフとして活動する岡村武龍さん(21)だ。北海学園大学4年生。大学入学直後から約4年間、学生スタッフとしてスポーツ取材の現場に携わってきた。高校時代は小樽双葉高校の硬式野球部で白球を追った元球児でもある。来春には大学を卒業し、AI関連企業への就職を予定している。競技する側から伝える側へ。立場を変えたことで見えてきたものは何だったのか。野球への思い、取材を通じた人間的な成長、そして新たな夢について話を聞いた。
【プロフィール】
岡村武龍(おかむら・たける)
2004年11月26日生まれ、21歳。札幌市出身。札幌市立星置中学校から小樽双葉高等学校へ進学し、硬式野球部で3年間プレーした。現在は北海学園大学4年生。
大学1年生の春から株式会社スポーツニッポン新聞社のサポートスタッフとして活動。北海道の中学硬式野球・リトルシニアを中心に、さまざまなスポーツの取材現場に携わってきた。
一方、人気対戦ゲーム「大乱闘スマッシュブラザーズ」の大会主催者としても活動。得意キャラクターは「ピカチュウ」で、本人によるとキャラクター別の国内ランキングで10位に入った経験を持つ。
2027年3月に大学卒業予定。卒業後はAI関連企業への就職が内定しており、同年4月から東京で社会人生活をスタートさせる予定。
偶然の出会いから始まったスポーツ取材
札幌市出身の岡村さんは、札幌市立星置中学校を経て、小樽双葉高校に進学。高校では3年間、硬式野球部に所属した。
卒業後は北海学園大学へ進学。大学生活のスタートとともに、思いがけない出会いが待っていた。
高校3年生のころからラーメン店でアルバイトをしていたが、大学入学後に退職。その後、大学が開講する資格取得講座で、かつてスポーツニッポンの仕事に関わった経験を持つ講師と知り合った。
その講師から声を掛けられたことが、スポーツ新聞の仕事に携わるきっかけとなった。
「最初から新聞記者の仕事に強い興味があったわけではありません。でも、面白そうだと思って始めました」
大学1年生の春。何気なく踏み出した一歩が、その後の学生生活を大きく変えることになった。
取材先は野球だけではない。さまざまな競技の現場に足を運び、選手や指導者の声を聞いてきた。
中でも忘れられない経験として挙げたのが、サッカー元日本代表の本田圭佑さんへの取材だった。
「たまたま自分が取材に行くことになったんですけど、本田さんが来た瞬間、すごい人が来たなという感じがしました」
テレビや新聞で見ていた著名なアスリートを、取材する立場で目の当たりにする。その緊張感と高揚感は、今も鮮明に残っているという。
中学生から教わった「人として大切なこと」
数ある取材活動の中でも、岡村さんにとって特別な存在となったのが、北海道のリトルシニアだった。
大会会場では、多くの中学生が懸命に白球を追う。勝利を目指す選手たち、熱心に指導する監督やコーチ、そして子どもたちを支える保護者。
その一人一人との出会いが、岡村さん自身を成長させた。
「中学生の選手や監督さんたちを見ていると、自分の方がしっかりしていないんじゃないかと思うこともありました」
年齢では自分より下の選手たち。それでも、競技に向き合う姿勢や礼儀、周囲への気配りから学ぶことは少なくなかった。
例えば、試合後の行動。
「野球を見終わったら、必ず拍手をするようにしています。誰も見ていないかもしれないけど、そういうところはちゃんとしたいと思うようになりました」
さらに、取材する側として心掛けるようになったことがある。
特定のチームや選手だけに気持ちを寄せるのではなく、できるだけ公平な視点を持ち、さまざまなチームや選手に目を向けることだ。
「いろいろな選手やチームを取材しようと意識するようになりました。人間としての成長は、このリトルシニアの取材を通してできたんじゃないかなと思っています」
勝ったチームにも、敗れたチームにも、それぞれの物語がある。
結果だけでは測れない努力や成長があることを、グラウンドで教えられたのかもしれない。
「選手が活躍してくれるとうれしい」――伝える側で知った喜び
高校時代までの岡村さんにとって、野球は自分自身がプレーするものだった。
練習を重ね、試合に出場し、活躍することを目指す。それが競技者としての自然な目標だった。
しかし、取材する立場になって、その価値観は変わったという。
「選手として野球をやっていた時は、自分が活躍することを目標にしていました。でも、取り上げる側になると、今度は選手に活躍してほしいと思うようになったんです」
中学時代に取材した選手が高校へ進学し、さらに大きな舞台で活躍する。
その知らせに触れることが、何よりの喜びになった。
「中学校から見ている選手が高校で活躍してくれると、とってもうれしいです」
取材を重ねるうちに、選手の成長を見守ることも仕事の楽しみになっていった。
もちろん、楽しいことばかりではなかった。
「本当にいろいろありました。つらいこともあったし、楽しいこともたくさんありました」
それでも、4年間を振り返って「学びはとても多かった」と言い切る。
取材活動を通して知り合ったのは、中学生の選手だけではない。指導者、保護者、競技関係者、そして他社の記者たち。
普通の大学生活では出会う機会の少ない幅広い世代の人々と接することで、物事を見る視野が広がった。
「いろんな人に会って、本当に知見が広がりました」
その言葉には、学生スタッフとして積み重ねてきた時間への実感がにじんでいた。

もう一つの顔は、ゲーム大会の主催者
岡村さんには、スポーツ取材とは別に、熱心に取り組んでいる活動がある。
任天堂の人気対戦ゲーム「大乱闘スマッシュブラザーズ」の大会運営だ。
北海道で大会を主催し、参加者の募集や関係者との連絡、運営体制づくりなどに携わっている。
「人を集めるために、いろんなところへ連絡したり、電話したりしました。スポニチでのアルバイト経験が、すごく役に立っています」
スポーツ取材で身に付けた対人コミュニケーションや行動力が、思わぬところで生きている。
さらに、自身も競技者としてゲームに取り組んでいる。
得意とするキャラクターは「ピカチュウ」。
本人によれば、北海道内ではトップクラスの実力を持ち、キャラクター別の国内ランキングでも10位に入ったことがあるという。
大会運営についても、単なる趣味の枠にとどまらない熱意を持つ。
ただし、任天堂のゲーム大会に関するガイドラインを踏まえ、収益を目的とするのではなく、認められた範囲で運営することを意識しているという。
来春、就職に伴って北海道を離れる予定だが、仲間からは今後も運営に関わってほしいという声が寄せられている。
好きなことを通じて人を集め、一つのイベントをつくり上げる。
そこにも、岡村さんが4年間の取材活動で培ってきた経験が生きていた。
来春から東京へ AI関連企業で新たな挑戦
岡村さんは2004年11月26日生まれの21歳。
現在、北海学園大学4年生で、就職活動を終え、2027年4月からAI関連の事業を手掛ける企業への入社が内定している。
勤務地は東京となる見込みだ。
スポーツ新聞の仕事からIT・AIの世界へ。
一見すると異なる分野への挑戦だが、本人の中では決して無関係ではない。
「アルバイトのおかげで、いろんな知見が広がりました。自分が学んだことがどこまで通用するのか、逆にどこがまだ足りないのか。それを確かめながら、社会人として活躍できたらと思っています」
新しい環境に対する期待とともに、自分自身を冷静に見つめる姿勢も感じられた。
また、ゲーム大会の運営など、好きなことへの挑戦も続けていきたい考えだ。
スポーツ取材で培った人とのつながり。自ら行動し、物事を形にしていく力。そして、相手の立場に立って考える姿勢。
それらは、どのような業界へ進んでも、きっと大切な財産になるだろう。
取材する人を取材して、感じたこと
今回、岡村さんに話を聞きながら、改めて感じたことがある。
それは、取材という仕事が、単に情報を集めて伝えるだけのものではないということだ。
私自身、北海道の野球を長く取材してきたが、グラウンドで出会う人たちから教わることは今も多い。
選手たちの真剣なまなざし、指導者の言葉、保護者の支え。そして、勝敗の向こう側にあるさまざまな思い。
それらに触れるたびに、取材する側も学ばせてもらっている。
岡村さんが語った「中学生から人間としての成長を教わった」という言葉は、とても印象的だった。
若い学生スタッフが、自分より年下の選手たちに敬意を払い、取材する姿勢を見直してきた。
その経験こそ、4年間で得た大きな財産ではないだろうか。
来春からは、これまでとはまったく違う環境が待っている。
仕事をしていれば、思い通りにいかないこともある。失敗することも、壁にぶつかることもあるだろう。
しかし、大切なのは失敗しないことではなく、そこから何を学び、もう一度立ち上がれるかだと思う。
取材の最後、そんな話を岡村さんにも伝えた。
大学卒業まで、まだスポーツニッポンの学生スタッフとしての活動は続く。
北海道の野球を追いかけた日々を胸に、残された時間も一つ一つの出会いを大切にしてほしい。
そして、いつか新しい世界で自分らしい道を切り開いてくれることを願っている。
グラウンドで選手たちの成長を追い続けた一人の青年が、今度は自分自身の可能性に挑戦する。
その未来を、心から応援したい。
(取材・文/ベースボール北海道ストライク 発行人・大川祐市)
