高校時代の交通事故、大学での右ひじ靭帯損傷――幾度もの逆境を越え、打率3割後半でチームをけん引
5月23日、江別市の野幌運動公園で大学野球の取材を行っていた際、懐かしい顔と再会した。
北海道教育大学岩見沢校3年の作田拓弥だ。
以前、「たきうちプレス」で取材した際の作田は、右ひじ靭帯損傷からの復活を目指し、リハビリに励む日々を送っていた。思うように投げられず、打つこともままならない苦しい時間。それでも諦めることなく復帰を目指し続けた。
そして今――。
作田はチームの四番として打線を支え、29打数11安打のハイアベレージを記録。完全復活を印象付ける活躍を見せている。
元江別アニマルズから始まった野球人生
作田が野球を始めたのは地元・江別市の元江別アニマルズだった。
小学6年時にはホクレン旗石狩支部予選で準優勝を経験。幼い頃から勝負の厳しさと喜びを味わいながら成長してきた。
中学では札幌豊平東リトルシニアへ進学。全国大会出場を目指して腕を磨き、3年時には日本選手権北海道予選でベスト8進出を果たした。
しかし、その大会では忘れられない悔しさも味わった。
釧路リトルシニアとのタイブレーク。サヨナラの場面で一塁手を守っていた作田のもとへ打球が飛んだ。
あと一歩届かなかった打球はチームの敗戦を決める一打となった。
「あの打球を止めていたら――」
今でも胸に残る悔しさだという。
高校3年春に襲った突然の交通事故
札幌日本大学高校へ進学後も、厳しい競争の中でレギュラー獲得を目指した。
そして高校3年春。
ようやく背番号を手にし、最後の夏へ向けて歩み始めた矢先だった。
交通事故に遭い、胸骨骨折に加え首や肋骨も負傷する大ケガを負った。
積み重ねてきた努力が一瞬で断ち切られた。
懸命な治療とリハビリを続けたものの、最後の夏にベンチ入りすることは叶わなかった。
仲間たちの戦いをスタンドから見守るしかなかった日々は、今でも忘れられないという。
「高校3年間、厳しかったです。本当に……。事故で一瞬で積み重ねが崩れた。だから大学でやり切りたいと思いました」
その言葉には、高校時代の無念さが凝縮されていた。
大学2年で再び訪れた試練
大学進学後、野球への情熱を胸に再スタートを切った作田だったが、再び試練が訪れる。
大学2年時、右ひじ靭帯を損傷。
春のリーグ戦では思うようなプレーができず、本来の力を発揮できなかった。
それでも作田は下を向かなかった。
地道なリハビリとトレーニングを重ね、秋のリーグ戦での復帰を目標に掲げた。
長く苦しいリハビリ生活を乗り越え、迎えた秋。
作田は見事にグラウンドへ戻ってきた。
その姿は、以前「たきうちプレス」で取材した際に語っていた「必ず復活する」という言葉そのものだった。

悔しさを力に変え、次は一部の舞台へ
現在の作田は、北海道教育大学岩見沢校の四番として打線を支える存在だ。
今季は29打数11安打と高い打率を残し、勝負強い打撃でチームに貢献している。
中学時代の悔しい敗戦。
高校時代の交通事故。
そして大学2年時の右ひじ靭帯損傷。
幾度も訪れた試練は、作田から野球を奪いかけた。
それでも彼はあきらめなかった。
リハビリを乗り越え、再びグラウンドへ戻り、今ではチームの中心選手として白球を追い続けている。
取材の最後、作田は穏やかな表情で今シーズンへの思いを語ってくれた。
「なんとか復帰をすることができました。今シーズンは無事にリーグ戦を戦い抜き、二部優勝を果たして一部昇格を達成したいです。個人としては、一塁手のベストナインを獲得できるよう頑張っていきます。本日はお話しさせていただき、ありがとうございました!」
ケガによって何度も立ち止まりながら、そのたびに前を向いて歩み続けてきた作田拓弥。
高校時代に失った「最後の夏」の悔しさも、大学で味わったリハビリの日々も、すべては今につながっている。
次に目指す舞台は一部リーグ。
その先にあるさらなる飛躍へ向け、作田の挑戦は続いていく。

〇作田 拓弥(さくた たくみ)20歳
北海道教育大学岩見沢校・3年
右投げ、右打ち
177センチ、80キロ
家族は両親と兄と姉の5人。
<野球歴>
北海道教育大学岩見沢校ー札幌日本大学高校学校ー札幌豊平東リトルシニアー元江別アニマルズ出身
