“やり切れなかった”高校野球の悔しさが、大学野球への原動力に

“やり切れなかった”高校野球の悔しさが、大学野球への原動力に

〇作田 拓弥(さくた たくみ)19歳
北海道教育大学岩見沢校・2年
右投げ、右打ち
177センチ、80キロ
家族は両親と兄と姉の5人。

<野球歴>
北海道教育大学岩見沢校ー札幌日本大学高校学校ー札幌豊平東リトルシニアー元江別アニマルズ出身

作田君
作田君(北海道教育大学岩見沢校・2年)

小さな違和感から始まった苦悩

6月11日、札幌市中央区の「たきうち整形外科スポーツクリニック」。
診察を受けていたのは、北海道教育大学岩見沢校2年の作田拓弥君(19)。右ひじ靭帯の損傷により、春のリーグ戦では思うようなプレーができず、現在は秋の復帰を目指してリハビリに励んでいる。

「バッティング投手をしていた時に違和感がありました。でも、休めば治ると思っていて…」

そんな小さな違和感が、日増しに痛みに変わっていった。スイングの軌道もイメージとズレが生まれ、肘をかばうクセが抜けない。出場することがチームのためにならない――そう自ら判断し、監督に出場辞退を申し出た。

「1年の秋から出ていただけに悔しかった。自分のせいでチームに迷惑をかけたと思いました」

作田君の野球人生は、ケガと向き合う日々の連続だった。

小学時代の原点、ケガとの出会い

小学生のとき、地元・元江別アニマルズで野球を始めた。小学6年でホクレン旗石狩支部予選準優勝。新十津川ホワイトベアーズと全道2回戦で激突したことは今でも記憶に残る。右ひじのケガで三塁手から一塁手に転向したのもこの時期だった。

中学時代の挫折と涙の記憶

中学では札幌豊平東リトルシニアへ進み、3年時の日本選手権北海道予選でベスト8。釧路リトルシニアとのタイブレークでは、サヨナラ打となる当たりを一塁手として止めきれず、涙をのんだ。

高校3年間、苦難の連続

高校では札幌日本大学高校へ進学。しかし、3年春にようやく手にした背番号は、交差点での交通事故で失われた。胸骨骨折に加え、首と肋骨も負傷。そのまま最後の夏もベンチ入りは叶わず、仲間の活躍を応援席から見届けた。

「高校3年間、厳しかったです。本当に…。事故で一瞬で積み重ねが崩れた。だから、大学でやり切りたかった」

あの悔しさが、今の原動力になっている。

野球が必要だった――心の声

「高校で辞めるつもりだった。でも、あのままでは終われなかった。やっぱり、自分には野球が必要だった」

大学では打撃力を評価され、チームの中核として信頼を集めていた。今はケガで戦列を離れているが、目指す場所があるから、耐えられる。

「秋には戻って、チームに貢献したい」

過去に経験したケガ、そして交通事故。それでも前を向き、今できることに全力で取り組む姿勢は、若きアスリートとしてだけでなく、一人の人間としての成長を物語っている。

大きな困難の先にこそ、本当の“復活”がある。
秋、再びユニフォームに袖を通したその時、彼の目に映る景色はきっと、かけがえのないものになっているだろう。

復活を信じリハビリに励む作田君
復活を信じリハビリに励む作田君

札幌都心部で評判の「たきうち整形外科スポーツクリニック

「たきうち整形外科スポーツクリニックは札幌都心部(札幌市中央区南1西6、北辰ビル2階)に位置する利便性と、専門性の高い診断、治療を行うスポーツクリニックとして全道的に名が知られている評判の整形外科病院。

瀧内院長は、プロ野球帯同ドクターや高校野球全道大会の担当医師などを務める、スポーツ障害治療の第一人者で活躍している。

また、リハビリ担当の理学療法士らも豊富な知識と経験を持ち、迅速かつ確実な治療で患者の日常生活への早期復帰をサポートしている。

当サイト・ストライクで連載した瀧内院長の「ドクターのフォームチェック」は野球少年・少女ら選手・監督やコーチにも人気となった。

♦問い合わせ♦

たきうち整形外科スポーツクリニックへの問い合わせはメール、info@takispo.jp

011-241-8405へ。携帯電話から受付対応する「シマフクロウ・コール」が便利。

☆受付・診療時間☆

昼の部=午前11時~午後3時(水曜日除く)

※第1、3土曜日診療は昼の部のみとなります。

夜の部=午後4時30分~午後8時(水曜日は夜のみ診療)

休診日=日曜・祝日、第2、4、5土曜日

取材協力:たきうち整形外科スポーツクリニック

 

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