
札幌市中央区の「たきうち整形外科スポーツクリニック」で理学療法士として働く佐々木琢朗さん(24)。自身も野球少年として故障に悩まされた経験を持ち、いまはケガに苦しむアスリートの心と体に寄り添う日々を送っている。痛みを知っているからこそできるケア、そして少年時代に出会ったクリニックが彼の人生を変えた。リハビリの現場に立ち続ける若き専門家の原点と現在をたどる。
〇佐々木 琢朗(ささき・たくろう)/24歳
右投げ・右打ち
【経歴】
新陽スターズ(小学生)、北陽中学校、北海道丘珠高校を経て、日本医療大学へ進学。
学生時代は投手と捕手の両方を務めた。自身のケガをきっかけに、患者さんにより深く寄り添う気持ちが芽生えたという。

野球との出会い、そして“初めての挫折”
野球との最初の出会いは、幼稚園の年長の頃。新聞紙を丸めたバットと、ガムテープを丸めたボール。気づけば夢中になっていた。学童時代は札幌市北区の「新陽スターズ」に所属。6年生は佐々木さんを含めてわずか4人。全学年合わせて11人とギリギリの陣容だったが、主将として投手や捕手を兼ねフル回転。「多少痛みがあっても自分が投げなきゃ試合にならない」。そんな中、肘に違和感を覚えながらも投げ続けた結果、野球肘(剥離骨折)に。先輩の紹介で訪れたのが「たきうち整形外科スポーツクリニック」だった。
「完治まで3ヶ月。ノースローではなく、テーピングをしてフォームの修正に時間を使いました。あの経験が今の自分の土台です」
再び訪れた試練――腰椎分離症と中学最後の夏
中学では北陽中に進学し、野球部に入部。選手層が厚くなる中、投手・捕手・内野手とマルチに活躍していたが、2年生の夏、突然の腰痛に襲われる。MRI検査の結果は腰椎分離症。大会直前の宣告に「出られないのか」と絶望したという。
「復帰には7ヶ月かかりました。筋力、コントロール、キレ、すべてがズレていて…。覚悟してたけど、想像以上でした」
それでも中学最後の夏、札幌地区予選決勝まで駒を進めた。決勝で陵北中に敗れたが、ケガと向き合った日々は、今の彼にとって大きな財産となっている。
理学療法士への道――「寄り添いたい」という原点
高校は北海道丘珠高校に進学。2年秋から捕手に専念。「投手経験があるから、投手の気持ちが分かる。リードだけじゃなく、関わり方そのものが学びになった」と語る。きつかった冬の練習も、先輩との関係も、社会に出てから役立っているという。
転機は高校2年春。肩を脱臼した先輩の代役として急遽マウンドへ。ベンチ外からベンチ入りを果たし、公式戦デビュー戦となった北海学園高戦が、結果として「投手として最初で最後の試合」になった。
その大会で、円山球場のメディカルスタッフとして来ていた「たきうち整形外科スポーツクリニック」のスタッフと再会。「こういう仕事もあるんだ」と理学療法士の道を目指すきっかけになった。
現在、そして未来へ――“痛み”に寄り添うということ
いま佐々木さんは、「特に高校3年生の患者さんには思い入れがある」と語る。
「最後の夏って、ほんとに特別なんです。だから僕たちができる最大限のサポートをしてあげたい。自分の中に“寄り添いたい気持ち”が宿っているんです」
その気持ちは、休日のボランティア活動にも現れている。今もなお「新陽スターズ」の練習や試合に同行し、後輩たちのケアに当たっている。
「肘も腰も自分が経験しているから、選手の気持ちが本当に分かるんです」
“痛みを知る人は、誰よりも優しくなれる”。少年時代の小さな出会いが、いま多くのアスリートを支える礎となっている。
札幌都心部で評判の「たきうち整形外科スポーツクリニック
「たきうち整形外科スポーツクリニック」は札幌都心部(札幌市中央区南1西6、北辰ビル2階)に位置する利便性と、専門性の高い診断、治療を行うスポーツクリニックとして全道的に名が知られている評判の整形外科病院。
瀧内院長は、プロ野球帯同ドクターや高校野球全道大会の担当医師などを務める、スポーツ障害治療の第一人者で活躍している。
また、リハビリ担当の理学療法士らも豊富な知識と経験を持ち、迅速かつ確実な治療で患者の日常生活への早期復帰をサポートしている。
当サイト・ストライクで連載した瀧内院長の「ドクターのフォームチェック」は野球少年・少女ら選手・監督やコーチにも人気となった。
♦問い合わせ♦
たきうち整形外科スポーツクリニックへの問い合わせはメール、info@takispo.jp
011-241-8405へ。携帯電話から受付対応する「シマフクロウ・コール」が便利。
☆受付・診療時間☆
昼の部=午前11時~午後3時(水曜日除く)
※第1、3土曜日診療は昼の部のみとなります。
夜の部=午後4時30分~午後8時(水曜日は夜のみ診療)
休診日=日曜・祝日、第2、4、5土曜日
取材協力:たきうち整形外科スポーツクリニック