「再び、仲間の待つマウンドへ」──大坂篤生、2年半の時を越えたリスタート

「再び、仲間の待つマウンドへ」──大坂篤生、2年半の時を越えたリスタート

〇大坂 篤生(おおさか・あつき)
北海道北広島高等学校・1年
173cm/75kg 右投右打
野球歴:札幌北広島ボーイズ、和光ジュニアライオンズ出身
家族構成:両親・妹の4人家族

大坂(アイキャッチ)
大坂(北広島高・1年)

出会いは2年生のテレビ画面から

小学2年生の頃、テレビで観た日本ハムファイターズの試合に心を打たれた。「自分も野球をやりたい!」。迷うことなく入団したのが、地元・恵庭市にある和光ジュニアライオンズだった。

6年生時には南北海道大会(全日本学童マクドナルド・トーナメント)に千歳支部代表として出場。さらにはFBC U12や地区のビッグタイトルでもバットで活躍。マルエス旗では決勝で好投を見せ、優勝に貢献できた。

大坂(北広島高・1年)
大坂(北広島高・1年)

予期せぬ診断「離断性骨軟骨炎」

中学では札幌北広島ボーイズに進んだが、1年冬の肘検診で引っかかり、受診した整形外科で「離断性骨軟骨炎」と診断された。「痛くもないのに、なんで…?」と、当時は実感が湧かなかった。

受け入れがたい現実の中、山田徹監督の勧めで「たきうち整形外科スポーツクリニック」に転院。診断は変わらず、治療は自然治癒を促すテーピング療法と、正しいフォームを身に付ける方針で進められた。

「思い切り野球がしたい」…叶わぬもどかしさと手術決断

中学3年。仲間がグラウンドでプレーする中、自分は制限つきの練習しかできない。「思い切りプレーがしたい」との思いから、左投げへの挑戦も試みたが、納得のいくプレーはできなかった。

この頃、リハビリを続ける中で「やっぱり手術を受けよう」と決断。2024年10月23日、右膝から軟骨を移植する手術は無事成功。歩くのも不自由だったが、時間と努力を積み重ね、少しずつ投球への階段を登り始めた。

「夏には必ず」──再起へ進む球児、立ち投げまで回復

2週間に1度のリハビリと並行し、キャッチボールを再開。肘の可動域も広がり、ようやく立ち投げができるまでに回復。「夏には必ず」全力プレーすると闘志を燃やす。

仲間と再び──“あの頃”の夢、もう一度

「小学校時代、一緒に野球をしていた庄司拓真(恵庭シニア-和光ジュニアライオンズ出身)と、今また北広島高で再会できた」。庄司君は捕手一筋。大坂君は、3年生最後の夏、あの頃のように庄司君とバッテリーを組みたいという夢を抱いている。

「自分を信じて真っ向勝負。それで打たれたら仕方ない」。そう言い切る彼の姿勢には、苦しんだ日々と、それでも野球を諦めなかった強さがにじむ。

逃げない理由

「走るのは苦手。体力もない。でも、途中で練習を投げ出すことだけはしたくない。やるからには負けたくない」。弱さを知り、向き合ってきたからこそ、大坂君の言葉には重みがある。

夢は、プレーすることの中にある

「野球は、観るよりもやっぱりプレーするのが楽しい」。札幌北広島ボーイズで出会った仲間たちと過ごした日々は、痛みさえも忘れさせてくれた。

「今はただ、グラウンドで思い切りボールを投げられる日が待ち遠しい」
そう語る大坂君の目は、静かに、でも確かに、前を向いている。

大坂(北広島高・1年)
大坂(北広島高・1年)

札幌都心部で評判の「たきうち整形外科スポーツクリニック

「たきうち整形外科スポーツクリニックは札幌都心部(札幌市中央区南1西6、北辰ビル2階)に位置する利便性と、専門性の高い診断、治療を行うスポーツクリニックとして全道的に名が知られている評判の整形外科病院。

瀧内院長は、プロ野球帯同ドクターや高校野球全道大会の担当医師などを務める、スポーツ障害治療の第一人者で活躍している。

また、リハビリ担当の理学療法士らも豊富な知識と経験を持ち、迅速かつ確実な治療で患者の日常生活への早期復帰をサポートしている。

当サイト・ストライクで連載した瀧内院長の「ドクターのフォームチェック」は野球少年・少女ら選手・監督やコーチにも人気となった。

♦問い合わせ♦

たきうち整形外科スポーツクリニックへの問い合わせはメール、info@takispo.jp

011-241-8405へ。携帯電話から受付対応する「シマフクロウ・コール」が便利。

☆受付・診療時間☆

昼の部=午前11時~午後3時(水曜日除く)

※第1、3土曜日診療は昼の部のみとなります。

夜の部=午後4時30分~午後8時(水曜日は夜のみ診療)

休診日=日曜・祝日、第2、4、5土曜日

取材協力:たきうち整形外科スポーツクリニック

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