北海学園札幌・細田琉一 大学野球へ再挑戦

北海学園札幌・細田琉一 大学野球へ再挑戦

〇細田琉一(ほそだ るいち)17歳
北海学園札幌高等学校・3年
右投げ、左打ち
157センチ56キロ
家族は両親と自分の3人。

小さな痛みから手術へ――長い戦いの始まり

 高校1年の秋、キャッチボールのときに肩に小さな痛みを覚えた。「少し投げなければ治るだろう」と軽く考えていたが、冬になっても痛みは消えず、翌春には「痛い!」と声を上げるほど悪化。小学5年のときに世話になった「たきうち整形外科スポーツクリニック」を再び訪れると、診断は肩関節唇損傷。術後には腱板不全断裂も見つかった。
シーズン途中ということもあり、投げながら治す“テーピング治療”を選んだ。高校2年の秋まで騙し騙しプレーを続けたが、最後の夏を戦う中で「まだ野球がしたい、大学でもう一花咲かせたい」と気持ちが揺れ動く。7月30日、ついに手術を決断し、現在は週2回のリハビリと週1回の診察に通い、最短3か月での回復を目指している。

細田君(北海学園札幌高)
細田君(北海学園札幌高)

野球を始めた原点――幌南ファイターズから北海道フォックスへ

 野球を始めたのは小学1年の夏。自宅近くにあった幌南ファイターズの体験会に、クラスメートの誘いで足を運んだのがきっかけだった。当時はサッカーや水泳など、さまざまな習い事を体験していたが、その中でも野球が一番楽しく感じられたという。理由は「周りの雰囲気が良かったこと。教え方も丁寧で、居心地が良かったから」だ。

 小学6年生のときには高栄旗少年野球大会での活躍が評価され、北海道選抜「北海道フォックス」に選出された。年末には関西での大会にも出場し、大きな自信につながった。また、全日本学童・札幌支部予選では延長でも決着がつかず、最後は抽選で敗れるという忘れられない経験も胸に刻まれている。

中学野球の充実――羊ヶ丘リトルシニアでの初優勝

 中学進学後は札幌羊ヶ丘リトルシニアへ。最大の思い出は中学3年時、北ガス杯で創部以来となる初優勝を果たしたことだ。2番・二塁手として出場した細田は、出塁率の高い1番・片倉諒真(現・札幌光星高)をきっちり犠打で送り、チームの流れをつくる役割を担った。「自分の仕事を果たせば勝利につながる」という責任感が、チームに居場所を与えてくれた。
派手な活躍ではなくても、確かな役割を持つことができたからこそ「自分が必要とされている」という充実感があった。振り返れば「中学野球は楽しかった」と自然に口にできるのも、このポジションと役割があったからだ。仲間と共に勝ち取った優勝はもちろんだが、2番・二塁手としての居場所が細田にとって何よりの財産となった。

高校野球での葛藤と成長

 北海学園札幌高へは、当時監督を務めていた秋葉監督の誘いを受けて進学。入学後すぐの1年夏からベンチ入りを果たし、続く秋もベンチ入りを勝ち取った。2年春には背番号4を背負い、ついにスタメンとしてグラウンドに立つ。だが、秋季大会が終わってからの守備練習では制限され、思うように体を動かせない日々が続いた。そんな中で自分にできることを模索し、打撃練習に重きを置いた結果、徐々にスイングのキレが増していった。地道な積み重ねが実を結び、3年春にはクリーンアップを任されるまでに成長。打線の中軸としてチームの期待を背負う存在となった。

 迎えた最後の夏は、3番・三塁手として支部予選に挑戦。初戦の札幌啓成戦に勝利したものの、2回戦で北星大附に惜しくも敗れ、高校野球に幕を下ろした。しかし、細田にとってその時間は決して無駄ではなかった。副主将として仲間と真正面から向き合い、意見をぶつけ合いながらも信頼を深めていった経験は、かけがえのない財産となったからだ。時には夜遅くまでミーティングを重ね、試合後には改善点を語り合った。素振りの動画を送り合いながら互いを高め合い、誰かが落ち込めば自然に声を掛け合う。そうした日々の積み重ねの中で「仲間のために自分は何ができるか」を考えるようになり、チームとしての一体感が強まっていった。

 最後の夏は結果だけを見れば悔しさが残ったかもしれない。だが、仲間と本気でぶつかり合い、支え合いながら積み上げた時間は、細田にとって何よりの宝物となった。

大学野球への決意――守備も打撃も両立を目指す

 ケガで思うように守備練習ができなかった冬、細田は打撃練習に専念した。最初は「守備で勝負するタイプ」と自覚していたため、バッティングにそれほど自信はなかった。しかし、毎日積み重ねるうちにスイングの感覚が変わり、ボールを捉える手応えが増していった。やがて練習試合や公式戦でも安打を重ねられるようになり、「もっと上を目指せるんじゃないか」という思いが芽生えた。苦しい状況を逆手に取って成長できたことが、自身の意識を大きく変えるきっかけになったのだ。

 高校最後の夏は、右肩の影響で投げることに制限がある状態だった。それでも3番・三塁手としてチームを支え、全力でプレーした。その中で「次は万全の状態で挑みたい」という思いが日に日に強くなり、大学で野球を続ける決意へとつながった。
「自分の持ち味である守備をさらに極めたい。そして打撃でも結果を残し、守備も打撃も両立できる選手として大学野球でスタメンを勝ち取りたい」と力強く語る。

 そして忘れてはいけないのが家族の支えだ。毎朝早くからお弁当を用意してくれたこと、雨の日には学校まで車で送ってくれたこと――日常の一つひとつが細田の背中を押してくれた。「当たり前ではない」家族の存在に、深い感謝を抱いている。
リハビリの先に見据えるのは、感謝と挑戦を胸にした新たな舞台。もう一度グラウンドで輝くその日を目指し、細田琉一は歩みを止めない。

術後まだ1ヶ月の細田君――ここから不死鳥のごとく蘇る。(北海学園高・3年)
術後まだ1ヶ月の細田君――ここから不死鳥のごとく蘇る。(北海学園高・3年)

札幌都心部で評判の「たきうち整形外科スポーツクリニック

「たきうち整形外科スポーツクリニックは札幌都心部(札幌市中央区南1西6、北辰ビル2階)に位置する利便性と、専門性の高い診断、治療を行うスポーツクリニックとして全道的に名が知られている評判の整形外科病院。

瀧内院長は、プロ野球帯同ドクターや高校野球全道大会の担当医師などを務める、スポーツ障害治療の第一人者で活躍している。

また、リハビリ担当の理学療法士らも豊富な知識と経験を持ち、迅速かつ確実な治療で患者の日常生活への早期復帰をサポートしている。

当サイト・ストライクで連載した瀧内院長の「ドクターのフォームチェック」は野球少年・少女ら選手・監督やコーチにも人気となった。

♦問い合わせ♦

たきうち整形外科スポーツクリニックへの問い合わせはメール、info@takispo.jp

011-241-8405へ。携帯電話から受付対応する「シマフクロウ・コール」が便利。

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取材協力:たきうち整形外科スポーツクリニック

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