北の大地から名門へ――渡邊翔天、覚悟の越境

北の大地から名門へ――渡邊翔天、覚悟の越境

ゼット杯でつかんだ手応え

 渡邊は昨シーズン、投手兼外野手としてチームに関わった。大きく目立つタイプではないが、その時々に求められる役割を果たしながら経験を積んできた。

特に印象的だったのが、3年生最後の大会となったゼット杯だ。
大会に向けてコンディションをしっかり整え、自身の持ち味を発揮。大舞台で大きな数字を残したわけではないが、チームの流れを支える一員として優勝に貢献した。

中学3年間の積み重ねが、最後の大会で一つの形になった瞬間だった。

強豪校で自分を試す決断

 進学先の高川学園は、2025年夏の甲子園(第107回大会)に続き、2026年の第98回選抜大会への出場も決めている全国屈指の強豪校。秋の中国大会で準優勝を果たし、春夏連続で全国の舞台に立つ。

なぜ北海道を離れ、山口を選んだのか。

「設備がとても充実していて、天然芝のグラウンドやバックスクリーンもあり、素晴らしい環境だと感じました。全国から選手が集まる厳しい世界で、自分がどこまで通用するのか挑戦してみたかった」

自分の現在地を理解したうえで、さらに上を目指す。その覚悟がにじむ選択だった。

渡邊翔天君のバッティング
渡邊翔天君のバッティング=(写真・本人提供)

「自分で決めた挑戦」だからこそ

北海道を離れ、親元を離れての生活が始まる。

「自分で決めた挑戦なので、逃げずに覚悟を持ってやり抜きたいです」

言葉は多くないが、その表情には迷いがなかった。
自分の意志で選んだ道。だからこそ責任も背負う。

4月1日に入寮。新しい環境での3年間がスタートする。

原点と、支えてくれた人たち

渡邊は学童時代、本誌発行人が主宰する野球教室に通っていた一人だ。
今回、合格の報告に足を運んでくれたことが何よりも嬉しかった。

当時は感情がプレーに出やすい一面もあったが、それも真剣に野球と向き合っていた証。年月を重ねる中で、心も身体も成長してきた。

中学時代に指導を受けた生嶋宏冶監督についてはこう語る。

「野球だけでなく、人として大事なことを教えてもらいました。本当に出会えてよかったと思っています」

そして両親へ――。

「送り迎えやお弁当作りなど、ずっと支えてくれました。野球を続けられたのは両親のおかげです。これからはプレーで恩返しできるよう頑張ります」

ゼット杯優勝という一つの区切りを胸に、次は全国常連校での挑戦。
派手さはなくとも、確かな積み重ねがある。

渡邊翔天の物語は、ここから新たな章へと入る。

渡邊翔天君
高校合格の報告に来てくれた渡邊翔天君

渡邊 翔天(わたなべ しょうま)
札幌新琴似リトルシニア/3年
右投げ、右打ち
179センチ、70キロ
家族は両親と3人。
野球を始めたキッカケは幼馴染の岩原巧武君(手稲東中野球部/3年)の誘いで小学1年生から手稲東ファイターズで競技をスタートさせた。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA