「春はセンバツから始まる」
この言葉に、やはり説明はいらない。
阪神甲子園球場。
白球が弾み、歓声が響き、若者たちが全力で夢を追う。
だが今年の春、私たちはもう一つの現実から目を背けてはいけない。
遠く中東では、再び戦火が上がっている。
日常が一瞬で奪われる現実。
野球どころか、明日を生きることすら保証されない世界が、確かに存在している。
それは決して「対岸の火事」ではない。
平和とは、与えられるものではなく、
気づかぬうちに“当たり前”として受け取ってしまうものだ。
だからこそ今、強く思う。
この舞台があること。
全力で白球を追える環境があること。
スタンドから声援を送れる日常があること。
そのすべてが、どれほど尊いことか。
北照高校の主将・手代森が選手宣誓を務める。
その言葉は、単なる大会の幕開けではない。
この“平和な時間”の中で野球ができることへの、無言の証明でもある。
北海道はかつて「不利」と言われた。
長い冬、短いシーズン――。
だが今、その環境は“言い訳”ではなく、“強さ”へと変わった。
積み上げてきたものは、決して技術だけではない。
耐え抜く力、続ける力、そして支えてくれる人への感謝。
それらすべてが、今この舞台に立つ資格となっている。
問いたい。
この春、私たちは何を見て、何を感じるのか。
勝敗だけを追うのか。
それとも、その裏にある“生きられることの価値”まで感じ取れるのか。
子どもたちは、全力で野球をする。
ならば大人は、その姿をただ消費するのではなく、
その背景にある「平和」という土台に、もう一度目を向けるべきだ。
当たり前の幸せは、当たり前ではない。
だからこそ、この一球、この一瞬が尊い。
春はセンバツから始まる。
そのプレーボールの音は、
平和の中でしか鳴らない音だということを、
私たちは忘れてはならない。
