札幌北が掴んだ“再戦の勝利”、とかち帯広が誓う“来年の逆襲”

札幌北が掴んだ“再戦の勝利”、とかち帯広が誓う“来年の逆襲”

悔しさを力に変えた“再戦ストリー”

札幌北、リベンジ果たし14年ぶりの秋王者

 決勝の対戦カードは、2年連続で決勝進出を果たした札幌北と、15年ぶりに決勝へ駒を進めたとかち帯広。KOKAJI CUP・決勝から続く再戦の因縁に、球場には独特の緊張感が漂った。

 初回、札幌北は一死から2番・水沼泰聖(北発寒ファイヤーズ出身/2年)がセンター前ヒットで出塁。続く打者の内野ゴロが敵失を誘いチャンスを広げると、5番・松野栞侑(北発寒ファイヤーズ出身/2年)のライト前が相手の失策を誘い、一気に二者が生還。立ち上がりから勢いをつける2点先制だった。

 二回に1点を返され2-1と迫られた札幌北は、三回の攻撃で再び流れを引き寄せる。先頭の水沼がセンターオーバーの二塁打で出塁。犠打で一死三塁とすると、4番・藤田桃成(緑苑台ファイターズジュニア出身/2年)がセンターへ犠牲フライを放ち追加点。この一打が結果的に決勝点となった。

 その後も札幌北打線は手を緩めなかった。四回には8番・池谷航(拓北スパイダース出身/2年)がライト前タイムリー、五回には藤田のセンター前タイムリー、六回には1番・部田香輔(緑苑台ファイターズジュニア出身/2年)がレフト線を破る二塁打で加点。着実に走者を返し、強豪・とかち帯広を突き放した。

 マウンドを任されたのはエース右腕、笠井心雅(緑苑台ファイターズジュニア出身/2年)。毎回走者を背負いながらも粘りの投球で相手の長打を許さず、6回5安打5四球2失点。試合をきっちりと作り、最終回は宮崎煌大(星置レッドソックス出身/2年)が落ち着いて締め、札幌北が歓喜の瞬間を迎えた。

 とかち帯広にとっても、15年ぶりの決勝進出は見事だった。前哨戦となった「KOKAJI CUP」では札幌北に11―0と大勝し、今大会でも優勝候補の筆頭と目された。しかし、その圧勝の記憶が札幌北の心に火をつけた。KOKAJI CUPで初回7失点で降板した笠井が、秋の決勝で見事にリベンジを果たしたことが、チーム全体の成長を象徴していた。

 「悔しさを忘れず、もう一度自分たちを見つめ直した」。試合後の札幌北ナインの表情には、歓喜もあるが静かな充実感がにじんでいた。積み上げた一勝一勝が、14年ぶりの頂点へとつながった。

三回、決勝打となる一打を放った藤田(札幌北)
三回、決勝打となる一打を放った藤田(札幌北)

「1試合1試合、“今日が最後”のつもりで挑んだ」──札幌北・松本竜輔監督、全国舞台へ再挑戦

 35年ぶりに、自身がキャプテンとして受け取った優勝旗が再び手元に戻ってきた──。
試合後、松本竜輔監督は感慨深げにそう語った。

「僕が中学2年の時にキャプテンとして優勝旗をもらって以来、35年ぶりにまた自分の手に戻ってくるなんてね。まさかの巡り合わせです。本当にうれしいです」

 監督は、今大会で勝ち上がったチームを“決して強豪ではない”と語る。それでも、チーム全員が1試合ごとに成長を重ねた姿を誇らしげに見つめた。

「飛び抜けた選手がいるわけではありません。でも、“みんなで繋ぐ”という気持ちが本当に強かった。試合を重ねるごとに、チームがひとつになっていったと思います」

 決勝トーナメントの4試合を通して、選手たちには「今日が最後だと思って120%出し切れ」と伝えてきたという。その積み重ねこそが、勝利への原動力となった。

「どの試合も“これが最後”と思って臨んでいました。今の3年生たちは、過去のチームと比べても技術的にはまだ及ばない部分もありますが、その分、素直に課題を受け止め、地道に努力を続けてきた。そういう姿勢こそ、このチームの成長だと思います」

 優勝後も、松本監督の視線はすでに全国大会へ向いている。試合間隔が空くことで調整の難しさもあるが、まずは“原点回帰”を掲げる。

「全国大会まで試合がない分、気持ちの面でも難しさはあります。でも、今やるべきことは基礎の徹底。明日からはボールを使わず、基礎練習に戻ります。もう一度足元を固めて、しっかり準備していきたいですね」

 35年前の自分と同じように、優勝旗を手にした選手たち。松本監督はその姿を見つめながら、穏やかに微笑んでいた。

14年ぶり6度目の優勝の札幌北リトルシニア
14年ぶり6度目の優勝の札幌北リトルシニア

「KOKAJI CUPの悔しさを胸に

“借りを返す”力投 札幌北リトルシニア・エースが導いた秋季全道制覇

秋季全道大会の決勝で、札幌北リトルシニアを頂点へと導いたエース右腕。試合後の表情には、安堵と達成感が入り混じっていた。

「今は、ほっとした気持ちが一番強いです」

 思い返すのは、数か月前のKOKAJI CUP決勝戦。あの時は悔しさにまみれた。
「KOKAJI CUPの決勝では自分のせいで7失点のコールド負けをしてしまいました。そのときの悔しさが原点です。『次の秋季全道大会で優勝して、十勝を倒す』という目標が自分の中に生まれました」

 前日から先発を告げられ、迎えた決勝当日。
「昨日の夜から、自分にできる準備をすべてやって臨みました。長いイニングを投げるつもりで、下半身をしっかり使ったフォームを意識しました」

 試合では、苦しい場面も落ち着いて乗り切った。
「しんどい場面はなかったです。バックを信じて、思い切って投げることができました」

 自身のピッチングを100点満点で表すなら「70点」。その理由を尋ねると、こう答えた。
「多くの回で先頭打者を出してしまいました。そこが残りの30点分の課題です」

 この日、6回までを投げきり、試合の流れをつくった右腕。全国の舞台を見据える視線はすでに前を向いている。
「先輩たちは春の全国でベスト16だったので、自分たちはそれを超える成績を残したい。全国で優勝できるよう頑張ります」

 冬場に取り組む課題も明確だ。
「今回の決勝では6回までしか投げ切れなかったので、最後まで投げ抜くためのコントロールと体力をつけたい。ストライク先行のピッチングを意識して、7回完投できるように鍛えます」

 最後に全国へ向けた決意を力強く語った。
「札幌北シニアでやってきたことは間違いないと思っています。自分たちの野球を信じて、全国の舞台でも全力でぶつけます」

 KOKAJI CUPでの屈辱からわずか数か月。
“借りを返す”力投で、札幌北リトルシニアのエースは見事に雪辱を果たした。

笠井 心雅(かさい・しんが)
2年/緑苑台ファイターズジュニア出身
右投げ左打ち。172センチ、56キロ。
家族は両親と姉2人の5人家族。野球を始めたのは小学2年生で、きっかけはお父さんの影響だった。

学童時代の6年生時には、全日本学童マクドナルドトーナメントで石狩支部代表として南北海道大会に出場。同チームの藤田桃成、部田香輔、髙橋瞭太、佐藤璃英とともに出場を果たした。

笠井投手(札幌北)
笠井投手(札幌北)
優勝旗を掴む近藤主将(札幌北)
優勝旗を掴む近藤主将(札幌北)

「全国は甘くない——全員が同じ気持ちで戦うこと」

札幌北リトルシニア・藤井直樹前主将が後輩へ託す言葉

 この秋、札幌北リトルシニアが14年ぶりの秋季全道制覇を成し遂げた。スタンドから声援を送っていたのは、今春の全国選抜大会でチームをベスト16へ導いた前主将・藤井直樹選手(スターキングス少年野球団/3年)。自身の経験を振り返りながら、後輩たちへの想いを語った。

「もし1年前に戻れるとしたら、自分たちには“もっと気持ちをひとつにして戦おう”と言いたいです。気持ちの持ち方がもう少し一致団結できていれば、また違った結果になっていたかもしれません」

 藤井が語るのは、全国大会の厳しさと、その中で求められる覚悟だ。
「全国大会は甘くないです。どんなに技術があっても、全員が同じ気持ちで戦わないと勝てません。北海道の大会とは違って、一つひとつのプレー、1勝の重みが全然違う。全員で“同じ目標を目指す”こと、それが一番大切だと思います」

 そして、全国を経験した先輩として、後輩たちに託す言葉をこう続けた。
「全国大会という舞台は、全員が出られるものではありません。北海道代表として出場することには、ものすごく大きな責任があります。その自覚をしっかり持って、一試合一試合の重みを感じて戦ってほしい。そして、春・夏と続く大会で優勝し、また全国の舞台に立ってほしいと思います」

 声援を送りながら見つめた後輩たちの姿に、藤井の胸には誇りと希望が宿る。
「彼らの戦いを見て、本当にうれしかったです。自分たちの悔しさを超えて、札幌北らしい野球を貫いてくれた。来年、さらに強くなった姿を全国で見たいですね」

 全国を知る男の言葉には、経験からにじむ実感と、次代への確かなバトンが込められていた。

藤井前主将(札幌北)
藤井前主将(札幌北)
応援席からエールを送る3年生(札幌北)
応援席からエールを送る3年生(札幌北)

細かい野球の積み重ねを次へ

とかち帯広・森徹監督「負けない野球をもう一度見つめ直したい」

 第52回秋季全道大会新人戦の決勝戦を終えたあと、とかち帯広リトルシニアの森徹監督は、選手たちの奮闘をねぎらいながらも、次の課題に向けて静かに言葉を紡いだ。
「この大会を通じて、まずはよくやったなと思います。選手たちは最後まで粘り強く戦ってくれました。ただ、“負けない野球”を掲げてやってきた中で、今日はその細かい部分が出し切れず、初回から流れを相手に渡してしまいました。もう一度、そうした部分を見つめ直したいと思います」

 森監督は、チームがこの秋に取り組んできた“細部への意識”にも手応えを感じているという。
「これまで“次のプレーをどう狙うか”という意識を強く持たせてきました。たとえばピッチャーにボールが届いてからベースを離れるとか、細かな立ち振る舞いを徹底してきたんです。少しずつ形になってきていますし、今後はさらに実戦を通して磨いていきたいです」

 また、試合ごとの戦い方だけでなく、選手のモチベーション管理にも力を注いできた。
「大会を通して、“1試合ずつ勝ち進む”というより、最終的な優勝を見据えて、どう選手を起用し、どう気持ちを維持させるかを考えてきました。決勝は一つの区切りですが、ここから先の“選抜大会”へ向けて、もう一段階成長していきたい」

 森監督の言葉には、単なる結果以上に“過程を重んじる指導者”としての信念がにじむ。大会で得た経験と課題を糧に、とかち帯広リトルシニアは次の舞台へと歩みを進めていく。

決勝に挑んだ、とかち帯広リトルシニア
決勝に挑んだ、とかち帯広リトルシニア
準優勝のとかち帯広リトルシニア
15年ぶり2度目の準優勝とかち帯広リトルシニア

「この悔しさを力に、来年こそ優勝を」

とかち帯広 主将・菊池春馬、仲間と誓う再出発

 決勝で敗れ、あと一歩のところで初優勝を逃したとかち帯広リトルシニア。
試合後、キャプテンの菊池春馬選手(柳町イーグルス出身/2年)は、悔しさを滲ませながらも前を向いた。

「本当に悔しい気持ちです。ここまでチームみんなで頑張ってきた中で、ミスもありましたし、思うようなプレーができない場面もありました。でも、これからどうしていくかをチームでしっかり考えて、来年の選手権や選抜大会で優勝できるようにしていきたいと思います」

 決勝の相手・札幌北リトルシニアとは、KOKAJI CUP(6月下旬~7月上旬)でも顔を合わせたが、数か月の間にその力の差を痛感したという。

「KOKAJI CUPの時よりも札幌北のレベルがすごく上がっていて、本当にいいチームだなと感じました。自分たちも、ああいうチームにならなければいけないと思います」

 この日の試合は、初回からリズムを掴めず2点を先制される展開に。焦りも生まれ、本来の戦い方ができなかったと振り返る。

「少し噛み合わなかったですし、焦りもありました。チャンスは何度かあったんですが、そこで一本が出なかった。自分たちの野球を最後まで貫けなかったのが悔しいです」

 それでも、主将として次への覚悟はすでに定まっている。
「自分の思うような結果は出ませんでしたが、課題はまだまだたくさんあります。来年3年生になったときに、チームの中心としてしっかり役割を果たせるようにしていきたいです」

 最後に、チームとしての課題に言及した。
「技術だけでなく、心の部分をしっかり鍛えていかないと、また同じような試合になってしまうと思います。監督の指示を全員で徹底できるように、チーム全体で意識を高めていきたいです」

 インタビューに答えるその表情には、敗戦の悔しさとともに、来季への確かな決意が宿っていた。

菊池 春馬(きくち・はるま)
右投げ右打ち。170センチ、61キロ。
野球を始めたのは小学1年生。きっかけは、地元の少年団・柳町イーグルスの選手たちに誘われたことだった。6年生時には北海道日本ハムファイターズジュニアに選出されるなど、攻守に秀でた存在へと成長した。
家族は両親と兄、弟、妹の6人。

二回、本塁を死守する捕手の菊池主将(とかち)、三走・池谷(札幌北)
二回、本塁を死守する捕手の菊池主将(とかち)、三走・池谷(札幌北)
菊池主将(とかち帯広)
菊池主将(とかち帯広)

札幌北リトルシニア、35年前の栄光

1990年秋季全道優勝から全国ベスト4への軌跡

 今から35年前の1990年、第17回秋季全道大会の決勝で、主将・松本竜輔氏を中心とする札幌北リトルシニアが札幌中央リトルシニアを下し、見事に全道優勝を飾った。当時はまだ「春の全国大会(全国選抜大会)」が存在せず、第1回大会が開催されるのは5年後の1995年。札幌北を率いていたのは、1963年の春の選抜高校野球で北海高を準優勝に導いた名将・宮田昭弘監督だった。若き選手たちは、名将のもとで基礎と精神を徹底的に叩き込まれ、札幌北の黄金期を築き上げていく。

 その翌年、1991年の夏。札幌北は日本選手権北海道大会決勝で深川中央リトルシニアを破り、再び全道の頂点へ。全国大会では堂々のベスト4進出を果たし、北海道勢として全国にその名を轟かせた。この時のチームからは、投手の鈴木淳也選手と佐藤貴明選手(現・東海Fイーグルスコーチ)が、オーストラリア・シドニーで行われた「世界少年野球選手権大会」に出場する全日本メンバー18名に選出。札幌北の実力が、世界の舞台で証明された瞬間だった。

 さらに、松本氏、鈴木氏、佐藤氏、斉藤真一氏、大矢塁氏(現・岩見沢農業高校監督)の5人がそろって北海高校へ進学。彼らが3年生となった1994年の第76回全国高校野球選手権大会で、北海高校は初戦の宇和島東戦を6-2で制し、2回戦では史上初となる「南北海道代表対北北海道代表」対決が実現。北海は砂川北を10-1で破ると、続く3回戦でも小松島西を14-5と圧倒。全国ベスト8進出を果たした。準々決勝で佐賀商に3-6で敗れたものの、札幌北出身の5人が中心となって戦ったその姿は、今も北海道の高校野球ファンの心に深く刻まれている。

 なお、当時の決勝で札幌北が破った深川中央リトルシニアは、元々「深川フェニックス」として活動していたチームで、後に名称を変更したが、1992年度をもって惜しまれつつ解散している。

——札幌北リトルシニアの35年前の栄光は、今もチームの伝統と誇りとして受け継がれ、若き選手たちに「北の頂を目指す」魂を語り継いでいる。

応援席に14年ぶりの優勝を報告する札幌北ナイン
応援席に14年ぶりの優勝を報告する札幌北ナイン

参考資料:日本リトルシニア北海道連盟AMBITIOUS創立50周年記念誌、高校野球100年北海道

協力:一般財団法人 日本リトルシニア中学硬式野球協会 北海道連盟

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