荒井海惺、被災を乗り越え帝京長岡で目指す“エースの座”
北海道胆振東部地震でグラウンドを失いながらも、野球への情熱を途切れさせることはなかった右腕がいる。千歳リトルシニアで眠っていた才能は、元プロの鋭い眼に見抜かれ、一気に運命が動き出した。帝京長岡で“エースの座”を目指す荒井海惺――逆境と出会いを力に変え、甲子園という大舞台へと歩みを進める、その軌跡に迫る。
ノーマークから一変。芝草監督を釘付けにした「隣のブルペン」
千歳リトルシニアの山木大輔監督が、今も語り継ぐ驚きのエピソードがあります。 昨年、ある日の練習に、日本ハムの守護神として活躍し現在は帝京長岡高(新潟)を率いる芝草宇宙監督が訪れました。
実は、芝草監督の本来の目的は別の投手を見ることでした。しかし、お目当ての投手の隣で黙々と投げ込んでいた一人の少年に、元プロの眼が釘付けになります。それが千歳リトルシニア/3年の荒井海惺(あらい・かいせい)でした。
その圧倒的なボールの威力とスケール感に、芝草監督は思わずこう口にしました。 「この子を、ぜひ育てたい」
「本来の目的ではなかった選手に対して、そんなことを言わせるなんて、なかなかあることじゃないですよ」と山木監督。179センチ、99キロという恵まれた体格から繰り出される「べらぼうに強い」地肩の強さは、ノーマークだったスカウトの心を一瞬で掴み取ったのです。

「震災」が奪ったグラウンド。逆境から始まったシニアへの道
荒井がこのマウンドに立つまでには、大きな困難がありました。小学3年生の時、所属していた「上厚真ベアーズ」を未曾有の悲劇が襲います。2018年の北海道胆振東部地震です。
激しい揺れにより、小学校のグラウンドは自衛隊のベースキャンプとなり、野球を続ける環境は一瞬にして失われました。部員不足も重なり、チームは活動休止を余儀なくされましたが、荒井の情熱は消えませんでした。5歳上の兄が通っていた縁で千歳リトルシニアに通い始めたことが、彼の野球人生を繋ぎ止める大きな転機となりました。
「人の話を聞く力」を武器に。信越王者として甲子園へ
憧れの芝草監督にその才能を見出され、道外への進学を決意した荒井選手。「ここでやりたい」という直感を信じ、新潟の強豪・帝京長岡へ渡ります。
シニア時代に山木監督から学んだ「人の話をしっかり聞き、理解することの大切さ」を胸に、雪国での厳しい練習に励んでいます。昨秋は信越大会を制し、春の選抜甲子園出場が目前に迫る中、荒井選手は「不安よりも期待の方が大きい」と力強く語ります。
「今の課題は、投手として戦い抜くための体力をつけること。そして波のある打撃を磨くことです。でも、一番の理想はレギュラーを勝ち取り、投手として甲子園のマウンドに立つこと」
震災でグラウンドを奪われたあの日から、周囲を驚かせたブルペンでの運命の出会いを経て、荒井海惺は今、北の地から誓った「甲子園のエース」への道を真っ直ぐに突き進んでいます。

荒井 海惺(あらい かいせい)
千歳リトルシニア/3年
右投げ、右打ち
179センチ、90キロ
野球を始めたのは、5つ上の兄の影響だった。地元の上厚真ベアーズで小学3年生から競技をスタート。しかし、その後まもなく胆振東部地震に見舞われ、少年団の存続が難しい状況となった。以降は千歳リトルシニアで練習生として活動を続ける。
そして小学6年生の秋からは、同級生とともに正式に千歳リトルシニアへ入団。晴れてリトルシニアリーガーとしての3年間を懸命に走り抜けた。
協力:千歳リトルシニア
