四ッ葉クラブから東都の名門・駒大、航空自衛隊千歳へ 根室で始まった指導者人生、今は苫小牧で次世代を支える
10月の「2026北海道学童都市対抗戦」へ向けて実戦を重ねる苫小牧選抜。本紙が同チームの練習試合を取材した際、ベンチで選手たちを支えていた一人が三浦哲也コーチ(41)だった。小学3年で野球を始め、中学、高校、東都大学野球の名門・駒澤大学、社会人野球の航空自衛隊千歳硬式野球部と、長く捕手として白球を追った。日本選手権の舞台も経験した一方、指導者としての原点は2016年、転勤先の根室で出会った少年野球にある。勝負の世界を歩んできた三浦さんの目に映ったのは、無邪気に野球を楽しむ子どもたちの姿だった。現在は沼ノ端スポーツ少年団と2026苫小牧選抜チームでコーチを務める三浦さん。その野球人生と、少年野球への思いを聞いた。
四ッ葉クラブから始まった野球人生
三浦さんが白球を追い始めたのは小学3年生の時。札幌市東区本町にあった四ッ葉クラブに入り、友人の影響もあって野球を始めた。
中学では、現在は活動していない札幌東ポニーリーグベースボールクラブでプレー。その後、室蘭大谷高等学校へ進み、捕手として1年春からベンチ入りした。
1年春の全道大会は初戦で滝川西に敗退。夏も初戦で岩見沢緑陵に敗れた。秋は初戦を勝ち上がったものの、2回戦で滝川西に敗れた。
高校時代の最高成績は2年夏の南北海道大会8強だった。
そして高校卒業後、三浦さんが次なる挑戦の場に選んだのが、東都大学野球の名門・駒澤大学だった。
東都の名門・駒澤大学で味わった厳しさ
全国から実力者が集まる環境へ飛び込み、捕手として勝負を挑んだ。
しかし、その壁は高かった。
けがにも苦しんだ。脇腹を6カ所骨折するなど、思うようにプレーできない時期も経験した。
「勝負しに行ったんですけど、きれいに惨敗して帰ってきた」
三浦さんは当時をそう振り返る。
目立った成績を残すことはできなかった。それでも、全国屈指の環境で4年間をやり切ったことは大きな自信になった。高いレベルの選手たちと野球に向き合い、苦しい時期も含めて経験したすべてが、その後の野球人生の財産となった。
航空自衛隊千歳で再び勝負の世界へ
大学卒業後、北海道へ戻った三浦さんは航空自衛隊千歳硬式野球部で社会人野球を続けた。
胸にあったのは、大学時代に思うような結果を残せなかった悔しさだった。
もう一度、社会人野球で結果を残したい――。
そんな思いで再び勝負の世界に身を置いた。
都市対抗野球大会への出場こそかなわなかったが、25、26歳ごろには社会人野球日本選手権大会に出場。京セラドーム大阪のグラウンドに立った。
4番を任されて臨んだ全国舞台。チームは1回戦で敗れたものの、全国レベルを肌で感じる貴重な経験となった。
大学時代に味わった悔しさを抱えながら、社会人でもう一度挑戦し、たどり着いた全国の舞台。それもまた、三浦さんの野球人生にとって大きな経験の一つとなった。
その後、現役生活に区切りをつけ、2016年に仕事の転勤で根室市へ。
ここから三浦さんの野球人生は、「プレーする側」から「伝える側」へと大きく動き始める。
根室で出会った「野球の原点」
根室で縁があったのが、JR北海道でプレーした藤森塁さんだった。
藤森さんといえば、ご子息は北海道日本ハムファイターズのドラフト5位ルーキー・藤森海斗。自身もJR北海道でプレーし、現在はJR北海道の根室駅に勤務している。
当時、その藤森さんが立ち上げた「根室ベースボールアカデミー」の活動に三浦さんも加わり、小学生から高校生までの指導に携わるようになった。
さらに当時の小学6年生を率いて「北海道学童都市対抗戦」に参加。これが三浦さんにとって、本格的に少年野球の指導に関わるきっかけとなった。
そこで目にしたのは、それまで自身が経験してきた野球とは少し違う光景だった。
高校、大学、社会人と、勝つために練習し、結果を求められる世界を歩んできた三浦さん。その目の前で、子どもたちは純粋に、無邪気に白球を追いかけていた。
「野球のルールを使った運動会みたいな感じで、本当に楽しそうにやっていたんです。自分はずっとガチガチの中で野球をやってきたので、原点に帰ったというか、型が外れたような感じでした」
子どもたちに野球を教えるために立ったグラウンドで、逆に自分自身が大切なものを教えられた。
それが三浦さんにとって、指導者としての新たな出発点となった。

根室でつながった選手たち
根室では小学生だけでなく、中学生年代の選抜活動にも携わった。
新型コロナ禍にはスタルヒン球場で行われた中学生の軟式選抜大会にも根室選抜として参加するなど、年代を問わず地域の子どもたちと向き合ってきた。
その中には、その後、高校野球の舞台で活躍した選手たちもいる。
別海高がセンバツに出場した際の捕手・中道航太郎選手(現・別海町を拠点とする独立リーグ(北海道フロンティアリーグ)の球団「別海パイロットスピリッツ」)や、白樺学園で主将を務めた藤原 悠楽選手(現・関東学院大学/2年)らも、根室時代に縁のあった選手たちだった。
藤森さん一家とのつながりも深い。
子どもたちが小学生だった頃から成長を見守り、進学して根室を離れた後も交流は続いている。指導者と選手という関係だけではなく、家族ぐるみの付き合いとなった。
三浦さんにとって、藤森さんをはじめ根室で出会った野球関係者は、自身に少年野球の奥深さを教えてくれた「恩師」のような存在でもある。
苫小牧で次の世代を支える
現在は苫小牧市に暮らし、沼ノ端スポーツ少年団でコーチを務める一方、2026苫小牧選抜チームでもコーチとして山村寛文監督らとともに選手たちを支えている。
今回、本紙が三浦さんに話を聞いたのも、苫小牧選抜の練習試合を取材したことがきっかけだった。
自身の小学3年生の息子も野球に取り組んでいる。
奇しくも、三浦さん自身が学童時代、今は無き四ッ葉クラブで野球を始めたのと同じ小学3年生だ。
かつては選手として少しでも上のレベルを目指し、勝負の世界を歩んだ。今は父親として、そして指導者として子どもたちの成長を見守る立場になった。
それでも、少年野球の世界では今なお学ぶことばかりだという。
周囲の指導者たちから、少年野球ならではの細かな部分や奥深さを学びながらグラウンドに立つ。
「毎日が勉強」
四ッ葉クラブから札幌東ポニー、室蘭大谷高、東都の名門・駒澤大学、そして航空自衛隊千歳硬式野球部へ。選手として積み重ねてきた経験は確かに大きい。
だが、三浦さんの野球人生に新たな価値観を与えたのは、根室で楽しそうに白球を追いかける子どもたちとの出会いだった。
教えるために立ったグラウンドで教えられた「野球の原点」。
その原点を胸に、三浦さんは今、苫小牧のグラウンドで次の世代を支えている。

PROFILE|三浦哲也
〇三浦 哲也(みうら・てつや)
1985年9月14日生まれ、41歳。苫小牧市在住。
小学3年生で札幌市東区本町にあった四ッ葉クラブに入り、友人の影響もあって野球を始める。中学は札幌東ポニーリーグベースボールクラブ、高校は室蘭大谷高等学校でプレー。捕手として高校1年春からベンチ入りし、2年夏に8強入りを経験した。
高校卒業後は東都大学野球の名門・駒澤大学へ進学。捕手として4年間プレーした。
大学卒業後は航空自衛隊千歳硬式野球部で社会人野球を続け、社会人野球日本選手権大会に出場。4番として京セラドーム大阪の全国舞台を経験した。
現役生活に区切りをつけ、2016年に仕事の転勤で根室市へ。元JR北海道の藤森類さんらとともに「根室ベースボールアカデミー」の活動に携わり、小学生から高校生までを指導。EZO BATTLEや中学生年代の選抜活動などを通じ、指導者として経験を重ねた。
現在は沼ノ端スポーツ少年団と2026苫小牧選抜チームのコーチを兼任。家族は妻と小学3年生の長男との3人家族。
協力:2026苫小牧選抜チーム
